全く絵を描けないのに100日連続で練習しはじめたワケ。
日記を更新するのはとても久しぶりです。
文章にしてアウトプットするってのがいいよ!って知人に薦められたりして
アウトプットするメリットってなんじゃらほい?って調べたら
その人とナリがわかったり見た人の糧になったり悩みを解決できたりする
って言われてなるほど?ってなって
確かにプライベート何もせずに非生産的な日々を送るよりはマシかもしれない?
って思って重い腰を上げてこうして筆を取った次第。
ツイッターってアウトプットにはなりにくいよね
144文字は言葉を語るには少なすぎる。
ブログ作ってたのを思い出して文章を書く環境はあるぞ!
さぁ何を書く!って段階で色々ネタは浮かんだんだけどまぁまずはこれでしょ!
どうして絵描けないのにいきなり100日連続で練習しはじめたの?
なんでこの話題かっちゅーと
今100日連続で絵を練習するっていう狂気を孕んだ企画の3周目を進行中なわけですが実はこの100日連続で練習するに至った理由って人に詳しく話したコトそんなないんですよね。
話さなかった理由は単に機会が少ないから。
実際人に話すのって同じく絵を描き始めた、描いてる人ぐらいにしか話題にしづらく絵描いてない人に話してもふーんで終わるから言う機会ないよねw
でもこのままじゃ周りの人は
いきなり絵を描き始めて勝手に苦しんでもがいて勝手に発狂してヘラってんだけど!?狂人?!こわっ!
ってなりかねない。いや、もうなってる可能性ある。
絡んだことないフォロワーもいるというのに第一印象が最悪なの終わってるじゃないですかー!やだー!
それじゃあかん!って危機感を持ってこの記事に臨んでいます。
最初の段階でやっとけよって言葉はあーあーきこえなーい。
どうせVtuberにハマったからイラストの練習しはじめたんだろ?って?
いや違うんだなぁこれが!
それでも大層な理由じゃないんだけどね!
結構長めになっちゃったんで目次だけでも大体汲み取れるようにしておいたよ!
まずは絵が描けないという自分語り
わたくしこといぬいは
徹底的に絵の才覚がない。
本当に絵の能力がない。
人の顔を描けば溶けた感じに
人の髪を描けばただのひじきで
人の目を描けば生気を失い
人の体を描けば複雑骨折になる
風景を描けば世界は傾き空は独特の色に
デッサンをすればただの平面の模様。
そもそも綺麗に丸も図形も描けない。
そして何より続かない。
その才覚のなさがどんだけやばいかというと学校で美術があったとき
真面目に出席して真面目に受けて真面目に提出物を全部だしても赤点ギリギリという始末。
真剣に授業に臨んでるんだけどなぜか授業態度が不真面目ということで内申やべえって心配して別の先生が教えてくれたこともある。
真面目にやってるのに不真面目!って言われるの当時は納得いかなかったけどまあ簡単な話、
俺の絵の才覚のなさは人の理解の範疇外に飛び出すほどやばいのだ。
いやいやいや、そうは言っても一定以上絵うまいんでしょ?
知ってる!こういう絵の練習企画って始める前からうまいんだよね
絵うまいからこういうの始めたんだろ?
って声が聞こえてきそう。
確かに世の中に出回ってる絵描き始めました!ってやつは大体元からうまい。
それはそう。
だって絵を描くのに抵抗がないぐらいにはうまくないと練習しよう!ってならないでしょ。
でも、安心してほしい。
俺は君たちと同じ側だと。持たぬ者と同じ側だと。
むしろ、こっちがひどすぎてお前うめえじゃねえか!?ってキレる側になるまである。
参考までに俺の練習1日目の絵を見てほしい。
ちょっとグロいので注意してね!
どうだ!すげえだろ!(涙)
”見本をしっかり見て” ”顔と首だけを描く” ”オリジナルではなく模写” ”それだけに3時間以上かける”
この条件で描いて俺より下手だった人だけが元からうまいんでしょ?って言ってくれ。
……そんなこと言えねえだろ?
多分言える人の方が少ないと思う。
ちなみにこの本は0から始める人用の練習ドリルの1ページ目。
俺の練習1日目は人が躓かないところで派手に転んでスタートするほどである。
こんだけ絶望的であれば嫌いとかではなく無関心になっても良さそうなんだけど
今まで100日企画を始めるまでにも何度か筆をとったことがある。
絵を描ける人がありがたいことに親身になって教えてくれたこともある。
でも、さじを投げるほどひどかったり教えてもらってて不義理にも程があるが自分が続けられなかった。
続けられなかった理由はその時々で色々あるが大体やる理由よりやらない理由を多く積み上げる自分のせいだった。
それでもイラスト見るのがむっちゃ好きなんですよ
一枚の絵で心を震わせたり癒やしたり。かわいいとかかっこいいとか思ったり。
これがどんだけ素晴らしいことか。
この記事を書くにあたってなんでこんな好きなのか考えてみたところ
多分、ライトノベルから受けた影響がとても大きいんだと思う。
ラノベと言えど小説なので大体が文章なんだけど作品の世界観や場面を一枚の絵で表現するイラストに心惹かれてしまってそこから続いて今でも好きなんだと思う。多分。
そんな感じでイラストがすごい好き!でも絵の才能とかセンスとかはない!
自分でも描いてみたいなーっていう思いを原動力にして何度も筆を取って全滅w
さすがにここまでできなければ諦めもついて絵は描けないものだと。描ける人はとてもすごい人なのだと認識するようになった。
描けはしないけどイラストが好きなのに代わりはなく、好きなものは周りに見てー!って言いたくなる性分なのでイラスト紹介とかしたりTwitter出てからはイラストをRTばかりする日々を送ってました。
気づけばもう自分で描こうとは微塵も思わなくなった。
もう諦めきってる俺がどうして100日連続で絵を描くようになったのか。
きっかけが沢山あった
1.とあるツイートを見て
これを見てほしい
うまくなるための技術を探し当ててこねくり回して反復練習する格ゲーの練習方法、お絵かきと全く同じで当てはまるので格ゲーうまい人はすぐ絵もうまくなれるのは間違いないと断言できます
— 有都あらゆる🐣 (@arito_arayuru) 2019年10月30日
グラブルジャージ部っ!でおなじみの有都あらゆるさんが好きでフォローしてるんですけどとある日こんなツイートを見かける。
絵のことばかり語ってたけど自分は生粋の格ゲーマー。
一番やってるゲームは格闘ゲームだしなんなら人生の中で格ゲーが一番時間取ってるかもしれない。
格ゲー全国レベルでうまいとは言わないけど格ゲーやってない一般の人からみたらうまいとは思う。
そんな俺がこのツイートを見た時、
え? ほんとに? マジ? 俺描ける?
って思ったのは言うまでもない。
自分の中で格ゲーをやってて生きていく上で身になることなんて一つもねえって思ってて格ゲーの経験をどこかに活かそうだなんて考えもしてなかった。
だからこのツイートは目からウロコで確かに格ゲーでそういうことやってる!もしかしてこれ他の事にも活かせるのか?って疑問が浮かぶようになった。
このツイートを見ても過去の失敗からすぐ実行とはならなかったんだけどずっと喉に魚の骨が刺さったように心にこの言葉がずっと残ることになる。
2.ツイッターで神絵師の神絵を見すぎた。
これ思ってるのは俺だけじゃないとは思うんだけどツイッターでイラスト描ける人多すぎない????しかも、上手い人が多い!!
見ても見ても見きれなくて前述の通りいいイラストがあったら見てー!って感じでRTしてて多分自分の総ツイートの8割ぐらいはイラストのRTなんだけどそれでも氷山の一角に過ぎないってのが本当にぱねぇ。
ここまでイラストがあふれてると絵を描けるのは一般技能ですけど?みたいな空気も漂ってきそうなほど。
これが自分の中でまたいいなー自分も描いてみたいなーっていう気持ちが膨らむことになってしまう。
それに、こんなにSNSでイラストがあふれてることを自分なりに分析してみると絵ってのはツイッターとの相性がとてもよくてサムネが表示されるだとか文字だけのTLにイラストが添えられる感じになっているだとか拡散されやすかったりだとか。
1の理由から日常に少しずつ格ゲーの考え方とかを取り入れるようになった俺はイラスト描ければSNSで有利つけられるんじゃね?とか浅はかな考えもするようになる。
格ゲーマー有利不利で考えがち。
3.やりたいことはやろうって思うようになった。
恥ずかしながら前に長いこと体を動かせなかったり死にかけたりってことを経験していて人間突然にあっさりと何もできなくなるってのを痛感した。
何もせず日々を過ごしていくのはただ生きてる現状を維持しているようで実際は現状維持はなく、自分が成長していなくても時間だけは過ぎていく。
時間が過ぎるってのはいいことばかりじゃなくて悪いことも起きるからそうなった時どれだけ対応できるかどれだけ後悔しないかってのを考えたらやりたいことはやるべきだって思うように。
めちゃくちゃ腰が重くなにかやりたいって思ってもやらない理由を積み上げる怠惰な脳みその中でやらない理由が挙がった上でどうすればできるか考えるようになったんだよね。
前までは脳内でやりたい!ってなっても辞めておけ!やらない理由はこんだけある!じゃあ辞めとくかーで終わってたのにw
4.社会不適合者、危機感を持つ。
社会不適合者であることを自覚して日々慎ましく生きてるんですけどふとSNSやYoutubeのぞいてみると
神絵師がApexでハンマー取りましただとか
神絵師が筋トレして筋肉美を披露してたとか
神絵師でありアニメーターでありDJだったりだとか
神絵師がVtuberになって動画編集も歌も歌えますだとか
Vtuberでゲームうまくて絵描けて歌も歌えて日本語と英語のバイリンガルだとか
ゲームプロデューサーがプログラムして絵描けて作曲できて声優が出来るだとか
作曲家がウェブデザイナーだったり動画クリエイターだったり絵を描けるだとか
若い子がデザインもできてプログラムもできて動画編集もできるだとか
えっ
その人達が頑張ってることはわかるしすごい人達なのだとわかっていても流石に色々出来る人が世に多すぎじゃない?
そして、あろうことか自分と比べてしまった。
自分に出来るのは格ゲーです……。えっそれなにか意味あるの?って言われたら意味はないとしか言えなくて
RPG世界で例えたらいろんな人が超強い剣やらきらびやかな鎧とかで完全装備で日々頑張ってるのに自分が手に持っているのを見たら竹槍だった。
そんな感じに思ったら滑稽と言うかすごい恥ずかしかったりしてこのままじゃいけないって危機感を持つようになった。
それと同時に色々出来る人ってかっけえなぁと憧憬を抱くようにもなった。
5.自分をコンテンツとして見た時軸になるのが欲しかった。
Twitterのアナリティクスってやつ。皆さんあれみてたりします?
俺は結構見てたりしててアナリティクスが導入されたばかりぐらいの時大体インプレッション50とかそんぐらいだったんですよねw
これ寂しいなーって思って色々行動して今は5倍以上になったんですよ!ありがたい!
でも、これは一つのゲームが出た時に精力的に行動した結果そのゲームをやってる人たちとの輪が広がったおかげであってそのゲームをやらなくなってしまったらどうなるんだとw
また同じに戻るのもいやだなーってw
自分をコンテンツとして考えた時に面白かったりだとかタメになったりだとか共感できたりだとかそういうものがなにかないだろうかって考えるようになった。
この辺りで絵が描けない人間が絵を描けるようになる過程ってのは面白いんじゃ?って考えがよぎるようになる。動機が不純。
6.創作してー!!!ってなる衝動みたいなものがある。
厨二病みたいで申し訳ない上に他の人から共感されることもなさそうな事柄なんだけど一年にあるかないかぐらいの頻度でなにかつくりてー!ってなることがあるんです……。
いやほんといい年した大人がなに言ってんだって感じで恥ずかしい限り!
でもこれが起きるとなにかしらつくってないと落ち着かないって状態になるんです……。
いつもは人知れず小説の設定とか書いたり動画作ったりしてその衝動をおさめてるんですが今回はいろんなきっかけを経て絵を描いてみるか?って思い始めたんですね。
色々なきっかけを経て
さすがにここまできっかけがあると重い腰を上げざるを得ない。
でも何度も挫折している事なので普通に描き始めたんじゃあ絶対に続かない。
一朝一夕で出来るものじゃないから続かなかったらいつまでも絵は描けないままだ。
そして、多分今回挫折したら生涯絵を描くことはないだろうとも思った。
だからどうすれば続けられるのかを必死に考える。
あんな絵を描いてみたい!そんな憧れだけじゃ弱いんだよなー!うーん!
って考えてるとその頃Twitterではとあるワニが話題をかっさらっていた。
100日後に死ぬワニに着想を得る。
100日後に死ぬワニというきくちゆうきさんが描いた作品。
この作品は毎日決まった時間にマンガがTwitterに投稿された。
内容はゆるっとした日常なんだけど物騒なタイトルと最後に命のカウントダウンが載っているっていうギャップが面白かった作品。
あの作品は最後には大変なことになったけど最後までは固唾を呑んで動向を見守ってた人が多いように思う。
俺個人としてはむちゃくちゃ好きってわけでもなかったけどいろんな人が考察を書いているのが面白くてバズってたら見に行くって感じだったんだけどここからヒントを得ることになるとは思ってなかったw
毎日投稿ってコンテンツとして面白いんじゃ?
ある日のことふと思う。
100日間毎日投稿するって大変だけれど毎日練習してその経過を見れるというのはどうだろうか?って。
毎日投稿するっていうので面白いところは生配信とは違うライブ感の共有かなって思ってて全く絵が描けない人が描けるようになっていくっていうのはこのライブ感の共有ってのとシナジーがあって面白いんじゃないだろうか!
絵全く描けない人がめちゃくちゃうまくれたら痛快じゃないか!
そしてその軌跡が見れるのは面白いんじゃないか?って。
って思いついたわけなんですねぇ
実際のところは面白いと思ってもらえてるかはわからないけどw
続ける理由は憧憬と義務と見られているという強い意識と証明への興味。
”100日間毎日練習を行いTwitterにその画像を貼る”
これをやることで色々な続ける理由にもつながるんじゃ?って思いつく。
このイラストすごいなー!こういうの描いてみたいなーっていういつもと同じ憧れという理由。
何があっても絶対に100日間毎日やると決めることで生まれる義務感。
Twitterのアナリティクスをみて色んな人に見られているという強い意識。
格ゲーマーは絶対に絵がうまくなるという有都あらゆる先生のツイートに対してほんとにぃ?俺で証明できるかやってみるかっていう興味を満たす。
こんだけ理由があれば流石に俺でも続くでしょ!
って思ってすべての問題を解決できつつ絵の練習が出来る企画。
100日間で絵が描けるようになる?いぬいっていう企画がスタートしたのでした。
実際にやってみて
最初の頃は本当にすごかった(こなみ)
実際に絵を描いてみるともう何度も挫折していて諦めてもいた俺は絵を描くっていうのにものすごい強い抵抗感を感じてしまった。
正直この抵抗感は今でもありますw
この抵抗感に抗いながら描くことになったので最初の方は体も頭も拒否反応を起こしていて誇張なく本当に涙が止まらずずっと泣きつつ吐き気も止まらないので繰り返し嘔吐するっていうカオスっぷりw
思い返せば本当に初日から10日ぐらいが一番の鬼門だったw
絵描くだけでこんなことになんの???
さすがにこれは本当に100日できんの?wって不安だったよねwww
でも、心配してくれて声かけてくれたりアドバイスしてくれたりした周りの方々に助けられました。本当に感謝しています。
助けてくれる人たちがいなかったら絶対に完走できなかったでしょう。本当にありがとうございます!
こうして1日目から100日目を無事完走してようやく人並みの顔の模写が出来るようになりましたとさ。
2回完走して思うこと。誤解されたくない事。
現在は1日めの練習のときから大分ながれて約250日目。
流石にこんだけときが流れれば描けるものも増えていて楽しいはず。
でもさっきも言ったように未だに絵を描くのに抵抗感を感じていて楽しい!とはなれていません。
その証拠に100日企画以外ではほとんど絵を描いていない。
楽しかったら自発的に描いたりするはずなんだけど未だその兆候がない……。
じゃあ全然楽しんでないの?つまんないのにやってんの?って言われるとそういうわけでもなくて目標を達成したり新しい事が出来るようになったりして憧れに一歩近づけた!って感じた時に楽しさや面白さを感じてはいるんだけど多分この楽しみ方は相当いびつだと思う。
絵を描くのが楽しいわけじゃない。
だから、描いている間は発狂してたりしててあんまりおもしろくなさそうに描いてるように見えることがあるのかなって。
絵を描いている人って大体の人が描くのが楽しいから絵を描いていると思うんですよね。
そんな人達が俺を見たら多分理解できないと思うし、これから見る人が増えた時に最悪バカにされてると捉えられるかもしれないなって思う。
理解できないのは仕方ないとしていらぬ誤解をされるのは嫌だなって思ってこの記事に書くんですが絵と真摯に向き合ってなければ250日以上絵の練習をしないw
絵を全く描けなかった人間なのでこれから楽しめるようになったらいいなって思って毎日練習してるのです。
なので、どうか暖かく見守ってもらえたらなぁと願うばかりです。
これから
現在100日企画の3周目の約250日目時点。
今はさいとうなおき先生が提唱する画力を劇的に向上させる3ヶ月上達法というものを実施中。
3ヶ月上達法ってのをざっくりと言うと自分の絵柄の目標となる先生を決めてその先生の絵と自分の絵と向き合い何度も絵を描き目標の絵柄を自分の中にインストールする手法。
今回、この3ヶ月上達法の目標をりゅうおうのおしごとやエイティシックス、FGOの巴御前などを手掛けるイラストレーターしらび先生に設定しました。
この記事執筆時点で100日のもう半分を切っていてあまり進捗はよくないww
果たして最終日までにどれほど画力があがるのか!?絵柄をインストールすることが出来るのか!?
乞うご期待!
またこの100日企画もあと何回かやるつもりでいてその時も3ヶ月上達法をやる予定。
一体俺はどんだけ絵が描けるようになっちまうんだぁ!?
いつもTwitterで見てくれている人たちには引き続き暖かく見守っていただけたら幸いです。かしこ。
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